NRF2026開催レポート:AIが顧客の「代理人」となる『Agentic Commerce』の衝撃

深田 浩嗣

NRF2026開催レポート:AIが顧客の「代理人」となる『Agentic Commerce』の衝撃

2026年1月、ニューヨークで世界最大の小売業イベント「NRF 2026:Retail's Big Show」が開催されました。会場には、未来への期待と、これまでの常識が覆されることへの緊張感が入り混じった、かつてないほどの熱気が満ちていました。

今年のNRFを象徴するキーワード、それが「Agentic Commerce(エージェンティック・コマース)」です。AIが顧客の「代理人」となり、商品を探し、比較し、購入までを代行する——。この新しい消費行動の登場は、小売業界の未来を不可逆的に変えるものとして、多くのセッションで議論されました。

本レポートでは、NRF 2026で語られた無数の議論の中から、特に重要な潮流を抽出してお伝えします。そのうえで、日本市場で勝ち抜くための戦略的な示唆を、Sprocketの視点から考察していきます。

1.NRF2026を席巻した最重要ワード「Agentic Commerce」

NRF2026の基調講演で、Googleのスンダー・ピチャイCEOはAIのインパクトを「電気や火と同じくらい大きなものかもしれない」と表現しました。この言葉が象徴するように、カンファレンス全体がAIの変革的可能性に沸き立ち、あらゆるセッションでその影響が語られました。その中で最も注目を集めたのが「Agentic Commerce(エージェンティック・コマース)」という概念です。

Publicis Groupeのチーフ・コマース・ストラテジー・オフィサー、ジェイソン・ゴールドバーグ氏は、この言葉を次のように定義しています。

『これは、サプライチェーンの最適化や人員配置の効率化といった、既存業務を改善するためのAI活用ではありません。Agentic Commerceとは、AIによって生まれる「全く新しい消費者行動」そのものを指すのです。』

つまり、消費者が商品を発見し、検討し、購入に至るまでのプロセスが、根本から覆されることを意味します。

さらにゴールドバーグ氏は、その影響範囲を「氷山全体」にたとえて考えるべきだと警鐘を鳴らしました。AIエージェントが顧客に代わって直接決済を行う取引は、氷山の一角に過ぎません。AIとの対話を通じて購入が決定され、実店舗や自社ECサイトで決済された取引も含め、AIが購買決定に影響を与えたすべての行動をその影響範囲として捉えるべきだというのです。この「Agentic Commerce」こそが、NRF 2026が提示した未来の核心です。

次章では、この新しい消費者行動が具体的にどのようなメカニズムで発生し、「買い物」という体験をいかに変容させるのか、その実態を詳しく見ていきます。

スンダー・ピチャイ(Google and Alphabet CEO)
出典:NRF 2026: Retail's Big Show|National Retail Federation

2.AIは「提案」から「代行」へ、買い物体験を根本から変える

これまで小売業界におけるAIの役割は、顧客の過去の購買履歴に基づき「あなたへのおすすめ」を提示する、いわば高度な「提案」の領域に留まっていました。しかし、Agentic Commerceの時代において、AIの役割は顧客に代わって能動的に思考し、行動する「代行」へと劇的に進化します。

ジェイソン・ゴールドバーグ氏が示した未来像は、まさに「ゼロ・クリック・コマース」と呼ぶべきものでした。同氏はこう説明しています。

『このシフトは、小売業者と消費者の関係性を根底から塗り替える、極めて重要な戦略的転換点です。私たちがAIに指示する言葉は、もはや「OK Google、子供のランチの材料を注文して」ではありません。未来の指示はこうです。「Hey Siri、二度と子供のランチの材料を切らさないで」。この指示を受け取ったSiriは、単に過去の注文を繰り返すのではありません。子どもが通う学校の給食スケジュールを把握し、今週は旅行で家にいないことをカレンダーから理解し、過去の購買データから「この子はWalmartで買ったパイレーツ・ブーティというスナックしか食べない」という事実までも学習します。そして、最適なタイミングで、最適な商品を、最適な小売業者(この場合はWalmart)に自動で発注するのです。ここには、顧客による検索も、比較検討も、クリックすらも介在しません。』

「発見の破壊」がもたらすパワーシフト

この変化は、マーケティングの根幹を揺るがす「発見の破壊(Disruption of Discovery)」を引き起こします。かつて小売業の成長を支えた「店頭での発見」という最大のリード獲得源は、TikTokのようなソーシャルメディア、そしてAIエージェントにその座を奪われつつあります。

ゴールドバーグ氏は、日焼け止め選びを例に挙げて次のように語りました。

『消費者はもはや、成分表示が難解な商品の前で立ち尽くすことはありません。代わりにこう尋ねるのです。「Hey ChatGPT。9歳の息子とハワイ旅行に行くのに一番いい日焼け止めは何?」AIは、サンゴ礁保護の観点や成分の安全性といった複雑な文脈を理解し、最適な商品を具体的に推奨します。』

同氏はこの変化の意味をこう結んでいます。

『もはや、ブランドの棚割りやパッケージデザインが持つ意味合いは、かつてないほど希薄化していくのです。これは、説得の主戦場が、物理的な棚やブランドサイトから、AIとの事前の対話へと移行するという、決定的なパワーシフトを意味します。』

AIによる購買の「代行」と「発見」の破壊は、単なる利便性の向上に留まりません。顧客がブランドとどのように出会い、どのような関係を築くのか——顧客体験そのもののあり方を問い直すものです。

3.単なる効率化ではない、AI時代の「おもてなし」と個客理解の深化

Agentic Commerceがもたらす変化は、自動化による効率一辺倒の世界ではありません。むしろ、AIというテクノロジーを介することで、より深く、より人間的な顧客理解に基づいた、日本的な「おもてなし」に近い体験の創出が可能になる――NRF 2026では、そうした逆説的な未来を指し示す先進事例が紹介されました。

事例分析①:ラルフ・ローレンの哲学「顧客に自信を与えるAI」

ラルフ・ローレンは、マイクロソフトとの長年のパートナーシップを経て、AIエージェント「Ask Ralph」を開発しました。その開発思想について、同社の担当者はこう語っています。

『テクノロジーのためのテクノロジーは愚か者の仕事だ』

彼らが目指したのは、マディソン・アベニューにある旗艦店の「邸宅」が持つ、マホガニーとシャンデリアに象徴されるような 「温かみのある世界観」をデジタル上で再現することでした。

「Ask Ralph」の目的は、単に商品を提案することではありません。顧客が「2日後の結婚式に何を着ればいいか分からない」といった悩みを打ち明けた際に、最適なスタイリングを提案し、服を着ることへの「自信を持たせる」ことにあります。

これは、ブランドが60年間培ってきた哲学と世界観を、AIという新しい言語を通じて顧客一人ひとりに届ける試みです。テクノロジーがブランド体験を深化させる好例といえます。

事例分析②:アルタ・ビューティーの野望「予測的な1対1の接客」

米国最大のビューティー小売であるアルタ・ビューティーは、4600万人という巨大なアクティブ会員基盤を武器に、AI戦略を加速させています。同社の社長兼CEO、ケシア・スティールマン氏は、目指す姿をこう表現しました。

『単なるパーソナライゼーションを超えた「予測的な一対一のパーソナライゼーション」を実現したい』

これは、過去の購買データから次のニーズを予測し、顧客一人ひとりが「まるで自分だけのために接客されている」と感じるレベルの体験を創出することを意味します。

この「予測」へのシフトは、顧客体験を事後対応型から事前対応型へと進化させるものです。ブランドに深く理解され、期待されているという感覚は、単なるポイント制度では築けない感情的なロイヤルティを醸成します。

両社に共通するのは、AIを活用して膨大な顧客データを解析し、個々の顧客を深く理解しようとしている点です。これは、マス・マーケティングでは到底不可能だった個客中心のアプローチといえます。

ラルフ・ローレンが提供する「自信」、アルタ・ビューティーが目指す「自分だけの特別感」。これらは、AIが実現する新しい顧客体験が、効率化とは異なる次元の価値——すなわち「おもてなし」の領域に踏み込んでいることを示しています。

そして、デジタル上で築かれた深い個客理解と信頼関係は、実店舗での体験をさらに豊かにする土台となります。オンラインとオフラインを横断する、一貫した顧客体験の創出。OMO(Online Merges with Offline)の本質は、まさにここにあるのではないでしょうか。

左:ボビー・スティーブンス(Deloitte Digital 米国小売・消費財部門責任者)

右:ケシア・スティールマン(Ulta Beauty 社長兼CEO)

事例分析③:SharkNinja「未知の問題」を発見する洞察力

AIがあらゆるデータを処理できる時代だからこそ、データには表れない「人間の潜在的ニーズ」を見抜く力が問われます。

小型家電メーカーSharkNinjaは、競合他社が停滞する中で年平均21%の成長を続けています。同社のマーク・バロカスCEOは、その秘訣を「消費者の未知の問題(Unknown Problems)」の解決だと語りました。

バロカス氏が例に挙げたのは、掃除機の開発です。消費者は「ブラシに絡まった髪の毛をハサミで切る」という不快な作業を、無意識のうちに「当たり前のこと」として受け入れていました。アンケートでは「掃除機に満足している」としか答えが返ってきません。しかし、行動観察(エスノグラフィー)を通じてこの「未知の問題」を発見し、髪が絡まない掃除機を開発したところ、大ヒット商品となりました。

顧客が言語化できていない悩みを先回りして解決する。AI時代において選ばれる企業の条件が、ここに示されています。

マーク・バロカス(SharkNinja CEO)

出典:NRF 2026: Retail's Big Show|National Retail Federation

4.境界線の消失:OMOの現在地とAIエージェントの役割

デジタルで事前に行われたAIとの対話が、実店舗での体験をいかに豊かにするか。オンラインとオフラインの境界線が消失するOMO時代において、AIは両者をシームレスに繋ぐ「接着剤」としての役割を担い始めています。

人間を支援し、仕事を魅力的にするAI

シンガポールの最大手小売、フェアプライス・グループの事例は、AIと人間の共存に関する示唆に富んでいます。

「AIが雇用を奪うのではないか」という懸念に対し、同社はAIを「フロントラインの仕事を楽にし、魅力的にするためのツール」として明確に位置づけています。店長向けに開発されたAIツール「グローサー・ジェニー」は、在庫管理やシフト作成といった煩雑な業務からスタッフを解放します。これにより、店長は本来注力すべきチームの育成や顧客へのサービスといった、より付加価値の高い業務に集中できるようになりました。

この事例が示すのは、AIは仕事を奪う脅威ではなく、従業員を支援し、その能力を最大限に引き出すパートナーになり得るということです。

AIにはできない「実体験」と「信頼」の価値

AIエージェントが普及し、誰もがテクノロジーを使えるようになる中で、差別化の源泉はどこへ向かうのでしょうか。

アウトドア用品のREIは、その答えを「信頼(Trust)」と「実体験」に置いています。CEOのメアリー・ベス・ロートン氏は、新戦略「Peak 28」を発表し、その核として「最も信頼されるリテーラーになること」を掲げました。

ロートン氏はこう説明しています。

『AIは賢いが、ハイキングやキャンプに行った「実体験」は持てない』

だからこそ、アウトドアの実体験を持つ店舗スタッフ(グリーンベスト)のアドバイスや、顧客の冒険を心から気にかける人間味こそが、AIによる自動化が進む世界での差別化要因になるという考えです。

テクノロジーはあくまで「人間の信頼関係」を補完・拡張するためにある。このREIの姿勢は、デジタルとリアルが融合するOMO時代において、多くの日本企業にとっても重要な指針となるでしょう。

デジタルとリアルを繋ぐ、シームレスな体験の創出

では、その重要な「人間(店舗スタッフ)」を、AIはどのようにサポートできるのでしょうか。第3章で紹介した欧米の先進企業は、AIを単なる効率化ツールとしてではなく、店舗スタッフが顧客との信頼関係を深めるための「武器」として活用しています。

これらの事例に共通するのは、AIの役割がオンラインだけで完結していない点です。AIが蓄積した顧客理解を、店舗スタッフが接客に活かす。デジタルで得た知見が、リアルの現場で「人間らしさ」とともに発揮される。この連携こそが、OMO全体の体験価値を高める鍵となっています。

では、これまで見てきた欧米の先進事例が示す大きな変化の波に、日本市場はどのように向き合うべきなのでしょうか。

5.総括:日本市場への示唆と取るべきアクション

NRF 2026で語られた「Agentic Commerce」の衝撃は、単なる技術革新の話に留まりません。AIがスペックや価格を瞬時に比較し、最適な選択肢を提示する時代において、企業は何を第一に考えるべきか。

今回、業界をリードするブランド企業が強調して語っていたのは、「自社の理念・パーパス」と「徹底した顧客志向」という、ビジネスの原点とも言える2つの軸でした。

1.「スペック比較」からの脱却と「理念・パーパス」の復権

第一に、企業としてのオリジナルな価値提供の軸となる「理念・パーパス」です。 商品の機能や価格といった「スペック的な比較」は、もはや人間が悩む領域ではなくなり、AIエージェントが瞬時に処理するタスクへと移行します。

そのような時代において、スペックを超えて「指名買い」されるためには、企業は独自の選ばれる理由を持たなければなりません。 それは表面的な差別化ではなく、ラルフ・ローレンが語った「より良い生活への夢」や、REIが掲げる「信頼」のように、揺るぎない理念・パーパスに基づいた独自の価値です。

AIが効率を追求するからこそ、人間にしか生み出せない「意味」や「物語」が、選ばれるための最大の決定打となります。

2.顕在ニーズを超えた「深層レベルでの顧客志向」

第二に、顧客も気づいていない真の用途を見出す「深いレベルでの顧客志向」です。顧客にとって本当に重要な選択とは何か。企業は、顧客が言葉にする要望に応えるだけでは不十分です。

SharkNinjaが「消費者の未知の問題」を発見して解決策を提示したように、あるいはアルタ・ビューティーが「予測的な一対一の提案」を目指すように、企業には顧客自身さえ言語化できていない潜在的な願望を先回りして見出し、提案する力が求められています。

単に顧客の要望を聞くだけではなく、「顧客にとって本当に重要な選択とは何か」を問い続け、AIにはできない洞察(インサイト)を持って提案できる存在になること。これこそが、Agentic Commerce時代における真の顧客志向です。

結論:原点を研ぎ澄ます

AIが顧客の代理人となる未来において、中途半端な機能比較に依存する企業はAIによって淘汰されます。日本企業がこの変化の波を乗りこなし、勝ち抜くために必要なアクションは、テクノロジーの導入だけではありません。

ビジネスの原点とも言える「自社の理念」と「顧客への深い洞察」という2つの軸を、これまで以上に研ぎ澄ますこと。それが、Agentic Commerce時代に求められる究極の生存戦略と言えるでしょう。

NRF会場風景

NRF会場風景

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キービジュアル:

ボブ・エディ(BJ's Wholesale Club, Inc.会長兼CEO、NRF理事長)
出典:NRF 2026: Retail's Big Show(National Retail Federation)

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