サービスは闘争。京都のおもてなし文化はデジタルで実現できるか
『お茶屋遊びを知っといやすか』(山本 雅子)という本を読んだ。
『お茶屋遊びを知っといやすか』(山本 雅子)
これは、祇園お茶屋のお母さんの本。自伝的要素が強いが、自身で幼いころにこの世界に入り、舞妓・芸姑を経てお母さん(この業界の独特の言葉で、お茶屋さんの女将さんのことをこういう風に表現する。舞妓さんを育てる役割も担っており、基本的に住み込みでの共同生活となっているため家族的な感覚が強くなるので自然にこういう風に呼ばれるようになったのだろう)になったという経歴から、祇園の文化・風情・風習といったことがリアリティを持って見えてくる。
あまり、祇園お茶屋の中の人が自分を語るようなこと少ないので貴重な内容といえる。祇園お茶屋をテーマにした本も何冊かあるが、いずれも中の人ではない人が著者となっていて、聞いた内容を元にした解説書のような体裁になっていることが多い。
この本も正確には外の人が文章自体はおこしているようなのだが、著者はお母さんの名前であり、基本的にお母さんの一人称で書かれている。心情の描写などもその分とてもリアリティがある。
主客相互に切磋琢磨する京都のおもてなし文化
サービス提供者側のプロフェッショナルな姿勢、お客さんに対する見方を見ていくと、やっぱり主客相互の自己実現あるいは切磋琢磨といったスタンスが色濃いことがわかる。要するに職人だ。
提供するものに形がないだけで、お母さん自身が育てる舞妓さんに対しての態度は、職人の親方の弟子に対するそれを想像させる厳しさがある。
また、祇園の世界を支える周辺のプレイヤーたちの姿も興味深い。着物を扱う呉服屋、髪かんざしやかつらなど色々な道具を作る職人、料理を出す仕出し屋、舞妓を育てる学校や芸事を教える先生・師匠たち、お茶屋の庭を手入れする植木屋、こうしたそれぞれの道での一流のプロが合わさって、京都祗園の世界観を作り上げていることがわかる。
お客様は神様ではない。無粋なお客はお断り
こうした描写から見えてくるのは、「おもてなし」とは奉仕だったり単純な意味での顧客満足を提供するものではないということだ。サービス提供者側が厳しい目線を持って自身を磨けば磨くほど、それを味わえる顧客を贔屓にするのは当然の結果だ。
もちろんサービス提供者としてできるだけのことはするが、それは「お客様は神様です」といった姿勢、「とにかくいま眼の前で喜んでもらうこと・言うことを聞くこと」といった姿勢とは全く異なっている。
お金がいくらあっても一見さんは相手にできない、無理な要求は「それは無理な話でっせ」とやんわり断られる、粋でない男性は扱いも一定以上にはならない、といった線引が明確にある。もちろん値引きやクーポンの概念は存在していない。
先日、「闘争としてのサービス」の著者である京都大学経営管理大学院 准教授の山内 裕氏との対談ででてきた話に通じる部分もたくさんあった。
はてさて、こうした「おもてなし」をどうやってデジタル上で、テクノロジーベースで実現していこうか。Sprocketが実現したい世界観には欠かせないピースなので、じっくり考えていきたい。
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